Topic No.45心と身体をつなぐもの(Special issue)
Nerve growth factor and the physiology of pain: lessons from congenital insensitivity to pain with anhidrosis.
Indo Y. Clin Genet. 2012 Oct;82(4):341-50.
要約
先天性無痛無汗症(Congenital Insensitivity to Pain with Anhidrosis: 以下CIPA)は、生まれつき痛みの感覚がなく、汗をかくことができないという稀な疾患である。本疾患は、痛覚の欠如と発汗障害に加えて、精神遅滞などの中枢神経障害を伴う常染色体劣性遺伝の疾患である。1996年、その原因がチロシンキナーゼ型神経成長因子受容体TrkAをコードする NTRK1 遺伝子の機能喪失性変異であることが、熊本大学小児科の犬童(いんどう)医師らにより報告された。
CIPAでは、TrkA受容体の機能喪失により神経成長因子(NGF)のシグナル伝達が障害され、このためNGF依存性ニューロンの分化と生存を維持する機構が胎生期に正常に機能しない。その結果、痛みの感覚を伝える「侵害受容ニューロン」と自律神経系の「交感神経ニューロン」が生存できなくなり、これらのニューロンが欠損し、感覚神経系や自律神経系に異常が生じる。
侵害受容ニューロンは、外傷を受けた際に体を守るための警告機能に重要だが、CIPA患者では侵害受容ニューロン欠損のため痛みを感じて体の安静を保ったり適切な治療を受けたりすることができない。このため常に生命が脅かされる危険な状態にさらされる。また、侵害受容ニューロンは、感覚を伝えるだけでなく生体防御や組織の修復過程にはたらく炎症反応においても重要な役割を果たしており、この過程は「軸索反射」や「神経原性炎症」として知られている。NGFはこれらの炎症反応においても重要な役割を果たしていることが判明してきているが、CIPA患者では、正常な炎症反応とは異なる過程で経過が進行し、炎症に付随して生じる生体防御反応がうまく機能しない。
一方、自律神経は生体恒常性維持に働いているが、なかでも交感神経系による「体温調節機構」と「防衛反応自律神経反射」はよく知られている。発汗現象は、体温調節反応と生体防御反応時にみられる生体調節機構のひとつで、温熱性発汗と精神性発汗に大別される。温熱性発汗は暑熱刺激によって誘発され体温調節に重要である。一方、精神性発汗は体温調節よりもむしろ防衛反応自律神経反射の一部と考えられており、精神的緊張などにより誘発され、手のひらや足裏などの発汗に代表される。CIPA患者では、交感神経機能がうまく機能しないために、体温を一定に保つことができなくなり、さらに暑さや寒さを感じる侵害受容ニューロンが欠損するため体温調節や最適化するための行動が行われない可能性がある。
また「闘争または逃避反応」は、野生環境で動物が生存してくための適応反応のひとつであると考えられるが、ヒトが怒りを感じるとき目立つので「怒り反応」とも呼ばれ、交感神経系の興奮と神経内分泌系の「ストレスホルモン」の分泌に伴って生じる。この反応は、視床下部により制御されているが、動物が緊急事態に出会った際に、逃避・攻撃などの行動と直結して起こる全身的な生体反応である。
これらの考察から、CIPA患者では侵害受容ニューロンを介した「身体を守るための警告機能」や「炎症反応の調節」の欠如や、交感神経を介した「体温調節反射」や「闘争または逃避反応」などの欠如により、生体の恒常性維持が正常に機能せず、患者は生存に関して常に不利な状態下にある。そして痛みはつらいものだが、痛みのない生活は危険だということが感じ取れる。
以上の背景から、侵害受容ニューロンや交感神経ニューロンを含むNGF依存性ニューロンは「生体の恒常性維持」の機構に重要な役割を果たしていることが理解される。「脳と身体は切り離せない」「心と身体は切り離せない」と漠然と言われているが、「痛みを伝える神経」と「交感神経」が脳と体をつなぐ重要な神経だということがNGFを中心とした研究から分かってきた。
コメント
NGFとその受容体の遺伝子異常がもたらす「痛みのない」状況がいかに危険であるかということを、論理的思考と経験的な考察から著している大変興味深い内容である。 そしてこれは、近年の生物医学モデルで、痛みが治らないのは「精神的なもの」としてきた考え方に警鐘をならすもので、生体にとって「脳と身体は切り離せない」事実を遺伝子研究をもとに論じている点が重要である。
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